本当の話をしよう~起業ストーリー(2)ハンドメイド教室での起業

徒然

こんにちは。石黒です。

この記事は連載なので、(1)からご覧くださいね。

きれいごとなしの私の起業ヒストリーです。
この記事をかくことで、私はきっと次のステージにいけます。

「本当は」どうだったのか。
続きをご覧ください。

ハンドメイド教室で2つ目の起業

ベビー教室を手放し、本格的にハンドメイド教室へ移行

ベビー教室はとても盛況でした。
正直、手放すのは惜しかった。

だけど、
「本当は好きじゃないのにやっている」
という苦しさもあり、やっとやっとやっと、本当に1年とかそのぐらいかけて決断したのです。

そして、ハンドメイド一本で毎日毎日レッスンをする日々をスタートしました。

ハンドメイドは、当時の「好きなこと」だったので、
今までとは違い、満たされ方もちがって、「やってよかった」「決めてよかった」と本当に思った。

このままでいいのかな?

自分が働けば働くほど、売り上げは上がります。
レッスンもたくさんきてもらえれば来てもらえるほど、売り上げは上がります。

私は売り上げを上げるのがとっても好きでした。
「やったら稼げる」
そう実感しました。

ただ、そのころ息子は、延長のない幼稚園に通っていました。
幼稚園時間は9:00-14:00。
私はレッスンを9:30-13:50
までやってました。

。。。

私は「資格取得」を強く打ち出していました。
ですので、お一人お一人はできるだけ長くレッスンを受けたい。

なので、私が可能なマックスの時間でレッスンしていたのです。

朝から晩まで働けるわけではないので、なるべく効率的に集中してやってました。


ただ、お気づきかもしれないが、
これでは私は昼食がとれなかった。

息子たちが帰ってきて、そのまま学研に送り、学研の待ち時間でデニーズでランチ、の日々でした。だいたい14:30ぐらい。


「このままでいいのかな?」


そう思った。
健康面でも、あまりよくなかった。

肉体労働に気づく

どうしてこうなのか。

ちょっと考えればわかることだった。

「私がやればやるほど、売り上げは上がる」
これは、とても満たされることだったが、同時に
「私がやれるところまでしか、売りあがらない」
だった。

このハンドメイド教室というのは、基本的に
「誰かが考えた作品や講座を売る」行為だった。

誰かが考案した講座や作品のライセンスを取り、その作り方を売る。
基本的に、資格取得講座は売上がたつが、それでもトップに持っていかれる分はある。

資格取得でなければ、利益は微々たるものである。

「ああ、肉体労働から脱する必要がある」
そう感じた。

そうだ、うまくいった「経験」を売ろう

確か、この時考えたのは、
ここまできた経験が売れる、というものだ。

個別の単発のコンサルティングから始まり、
おけいこサロンを軌道にのせるブログ講座など、
いろいろなことをスタートさせた。

それまでの私の発信で、こっそりファンがついてたりしたもんだから、
コンサルや講座にはそういう人たちが来てくれた。

また始まった「もっともっと病」

ここで、またベビー教室のような「もっともっと病」が始まる。
少しうまくいったもんだから、
「もっと売れたい」というようなものだ。

ここから私は、数年前のベビー教室の協会所属とおなじようなことを始める。

コンサルティングのハシゴである。


・なんとしてでも月収100いってみたい
・なんとしてでももっと成功したい


世の中は、起業ブームでもあったため、いろんなコンサルティングやセミナーに行った。

はたから見たら、「もう十分」なのに、
私は「今」を見ずに「もっともっと」を求めていた。

結局、これにもいくらかけたのかわからないほどかけた。
そこまで投資してわかったのは、
「私にはコンサルが必要ない」ということだった。

私がそれをわかるのに必要な投資だったということだ。


心が弱ると、
心がぶれると、
コンサルに行きたくなる。

なので、自分で自分をコントロールしながら、SNSや他人と上手に付き合いながら、
その後はコンサルを必要としない働き方にシフトした。

コンサルのハシゴで得たこと

結局、コンサルティングのハシゴで私は自分の考える成功はしなかった。

中には、
ふわっと成功していく人
あっというまに月収100万いく人

いろんな人がいた。

うらやましくもあったが、
そういうスピードで成功していく人たちの
見えない裏側やひずみも心得てるつもりだ。

私はその裏側を手放しきれなかった。
(例えば、「子供よりも完全に自分」という割り切りはできなかった、というようなことだ)


結局、私には「私にはコンサルがいらない」と分かったことと、自分コントロール術をちょっとみにつけること。この辺が得られた成果であったが、これが最善だった、ということだ。

オリジナル講座を作ろう

タイミングは前後するかもしれないが、私は2017年、自分のオリジナル講座である「レザクラージュ®」を立ち上げる。

これに関してはもう、いろいろあったがまた書ける日がきたら書くことにする。

先に書いた通り、「自分の講座」でなければマージンなど持っていかれるし、制約も多い。
なので、自分の講座を立ち上げることにした。

3年目になるが、いろんなことがあった(笑。
最初はもちろん、ハンドメイドのレッスンと、このレザクラージュを平行してやっていたが、
やっとやっと、最近、ほかのすべてのハンドメイドレッスンを手放す決意ができた。

グルーデコやリボンをやってきたが、
それを、少しずつ断捨離してきた。

一気にはできなかったが、手放したら入ってくる、ということを知っていたので、
少しずつだがやっていった。

ベビー教室からハンドメイド教室にシフトしていったように、
ハンドメイド教室からオリジナル講座へシフトしていった。


レザクラージュでは、仕組化を意識しており、
肉体労働の限界」を感じた私は、なるべく最小限の力で回せるようにしている。

現在コロナ禍でも安定的に売り上げを立てられているのは、
この仕組みと、「肉体労働の手放し」が大きいだろう。

階段を一段一段上るように たまに立ち止まったり下りたり

結局、起業してから8年間、いろんなことがあった。
少しずつ進んでは、また戻って、を繰り返して今がある。

少し前にはやった、「4か月で月収7桁♡」みたいな劇的な変化は私にはなかったが、
それに伴うひずみが発生することを考えれば、
やはりこの亀の歩みが最善であったのかもしれない。

ベビー教室をやっているころに比べれば、メンタルも考え方もだいぶ成長した。

私はあまり自分のネガティブな面はSNSで発信しないようにしてきたためか、
また、魅せ方がちょっとだけ上手というのもあってか、

「いつもうまくいってますね」
「いつも売れてますね」
「悩んだことあるんですか?」
「アキさんだからできるんですよね?」


みたいなことを言われ続けていた。

でも、裏側では激しい波のような感情の起伏を持っていたし、
人一倍悩んで、
人一倍ぶれて脱線して、
苦しんできた。

みんなが表に出してしまうようなネガティブな部分を、
私ももっているのだ。(むしろ多めに(笑))

一部の友人は、私のこの起伏をしっている。
ず~っと付き合ってくれた友人には感謝しかない。

この起伏は年々減っていき、今はだいぶ平穏になったつもりだ。

次のステージへ

この記事を書くにあたって、躊躇したのは主に前半の部分だ。
なぜなら、ベビー教室は「本当の自分」とかけ離れた「演じた自分」でやっていた仕事だったからだ。

だけど、そのころに来てくれた人たちはたくさんいて、
その私のところに来てくれていたわけで、
そういう人たちが読んだらショックだろうな・・・という部分がひっかかった。

しかし、ここを昇華して次のステージに行きたかったので、書くことにした。


売上などのためだけを考えて、
「本当の自分」とかけ離れた働き方をし、
結果、その私でお客さんがたくさん来てしまうと、
「演じた自分」でずっといなくてはならない。

上手に言葉にできないが、伝わるだろうか。。。

「短時間で起業塾などでブランディングが成功しうまくいった人」が、
そのブランディングがもし、「本当の自分とかけ離れているキャラ」としたら、
今もきっと苦しい日々を過ごしていると思う。

(それか、ブランディングした自分を本当の自分とすり替えて生きていくことにしているかどちらかだろう)


私はこれからは

等身大の自分で、
無理のない自分で、
自己開示して、
思っていることを我慢せず言って、
楽しく好きなことをして、
自立してきちんとした自分で

仕事をしていきたい。